2009'11.24.Tue
もう宴会が始まるわよ。あんたが行かないと、あの
巫女がからかわれの代役になりそうよ。
萃夢想ストーリー。鬼を斬ろうとして返り討ちに遭う妖夢。
妖々夢エンディングでは割といじられキャラしてたので、直後の萃夢想でも
相変わらずからかわれていたと予想されます。
妖夢は真面目すぎて萃夢想ではやや暴走気味。通り魔とか斬り捨てとか。
しかし霊夢はからかっても平気な顔していそう。
旧作では割といじられキャラだったらしいですが・・・。
関連
何となく妖夢が酔っ払って踊り始めるのも
PR
2009'11.24.Tue
あら、こんな寒い中参拝に来たのですか?
うふふ
私もここでの挨拶の仕方を学びました
この幻想郷では常識に囚われては
いけないのですね!
\ /
● ● この幻想郷では常識に囚われてはいけないのですね!
" ▽ "
地霊殿Exに登場した早苗さん。
まあ風神録でも神社乗っ取ったりと常識はずれな事をしていましたが、
この場合はスペルカードの発想のことかな、と思います。
「奇跡」という弾幕テーマから風神録のように「海が割れる日」とか
やってるようでは駄目で、
「ミラクルフルーツ」とか「五穀豊穣ライスシャワー」くらいの発想が必要だと。
その後の非や星での言動を見るに、頑張ってるみたいです。
関連
固定観念に捕らわれてはいけない。
2009'11.24.Tue
徳は怨みの本なり
祟り神の本質は、元々は神徳から来るのだ
天人のありがたい説教シリーズ。神様編。
日本の神様は荒魂(あらたま)と和魂(にきたま)という二つの側面を持ちます。
災いを起こす祟り神と、恵みを与える豊饒神は表裏一体であり、少しのきっかけで
ゆらぎうるものです。たとえば天災などをきっかけにして。
当たり前であった神徳の裏返しとして怨みが生まれ、いつの間にか神様は祟り神になってしまう。
変化がなくなれば、人間は神様のありがたみを忘れるものだと思います。
信仰に頼らずとも生きていける現代では、信仰の幻想入りもやむなしかもしれません。
神様に感謝してもしなくても、結果が変わらない以上は。
「いよかん。」さんの「かぜなきし」という本がこのあたりのことを語っていて面白かったです。
関連
土の中から目覚める蛙も、脱皮を繰り返す蛇も
転生の苦輪から逃れた神にみえたんだろうねぇ
2009'11.23.Mon
心の事?
私は閉ざしちゃったわ
覚りの瞳
人間の心なんて見ても落ち込むだけで
良い事なんて何一つ無いもん
無意識を操る程度の能力である古明地こいし。
姉の古明地さとりと違って第3の眼を閉じてしまったため、心を読めない
覚(さとり)妖怪になりました。
それによって無意識を操れるようになったので、「覚り」を辞めて「悟り」になったとも
言葉遊びが出来ます。
ここからは想像ですが、こいしとさとりの違いは何だったのか。
「心を読む」というのは共通なのに、なぜその後の行動が違うのか考察してみました。
地霊殿の紫戦などの発言から思うに、さとりは意識して相手の心を読むと考えられます。
逆に言えば、心を読もうと意識しないと心読は始まらない、つまりスイッチの切り替えが出来た。
そして読めるのは相手の「意識」だけであった。
しかしこいしが読めたのは相手の「無意識」であり、それは
いついかなるときも自分の頭の中に流れ込んできた。
スイッチを切り替えることはできなかった。
それに耐えられず、こいしは自らの眼を閉じた。
などと考察してみました。
考察が正しいかは置いておくとしても、人間は無意識下では結構エr・・エグイことを
考えていると思います。たまに意識下でも。
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新記事
(12/03)
(01/24)
(01/21)
(01/21)
(01/21)
最新トラックバック
プロフィール
最古記事
(09/30)
(09/30)
(10/01)
(10/01)
(10/01)
カウンター
忍者アド
ブログ内検索
アクセス解析